「お灸百壮」
2006年8月10日
古書に
「中風」の治療として
百会のツボに
灸
百壮
とあります。
たとえば
柳谷素霊著
『鍼灸治療医典』
(1979.3;石山鍼灸医学社)
によると
曲名瀬道三の『啓廸集』からの引用として
中風の症状により
肝兪や心兪
脾兪や肺兪
そして
脾兪などのツボに
百壮すえろ
と教えてあります。
また
『東医寶鑑』では
「臍下気海、関元
二、三百壮
灸しべし」
とあるを
引用しています。
かつて
鍼灸学校では
見習い学生の修行として
艾(モグサ)を
一分間に
半米粒大の
均一な大きさで
最低60壮以上
手早く
ひねりあげることが
課せられていました。
モグサを
一壮
一壮
火を点けては消し
消しては点け
を繰り返した
ならば
二百壮すえるには
どれくらいの時間を
用するでしょうか。
ただ
機械的にすえたとしても
小一時間は
かかるでしょう。
今
鍼灸所で
そんな治療を
行っているところはな
おそらく
ないと思います。
もともと
お灸を専門にするところは
灸点屋
と
呼ばれていたようです。
つまり、
お灸師は
灸をすえますが
それは
ツボを
おろすこと、
毎日
患者
自らが
お灸をすえる
そのツボを
灸をすえて
教える役目であった
のを
ナリワイ
としていたわけです。
鍼灸師と
呼ばれている方でも
灸を
専門に
されている方が
少ないのは
手間がかかる
患者を
たくさん
こなせない
から
と
いえるでしょうか。
モグサといえば
息吹山
それで
関西方面では
日常的に
お灸が
親しまれている感が
あります。
ヤイト
小児灸
などの看板が
かつては
ありましたが
現在は
どうでしょう。
鍼灸師が
経営のこと
金儲けを
中心に考えたならば
灸治療は
敬遠の策でしょう。
しかし
患者の側
具合の悪い者の側から、
治療や養生を
考えたならば
お灸は
手軽で
効果があるものですから
これを
ご自分の
健康管理のスベとして
身に着けたなら
人生
もっと
楽なものに
なるでしょう。
かつては
庶民の心得として
みな
お灸を
すえる
すえられる
関係が
あったわけです。
「お灸をすえる」
が
いつのころか
「懲らしめる」
手段の言葉に
なってしまっています。
残念至極です。
「灸百壮」
すえるには
時間がかかります。
で、
こう考えましょう。
今流行の
「スローライフ」
だと。
モグサは
モノグサの友
というわけです。
本当に
真剣に
お灸を
すえるとなると
一時間は
かかるでしょう。
この
一時間が
生活習慣として
貴重なのです。
両手を使うので
・・・ながら
の
仕事とは
なりません。
真剣に
自分のからだと
向き合わざるを得ません。
これが
いいのです。
最高ですね。
他人の都合でなく
自分の都合で
熱、きもちいい
アツコモの
至福のときを過ごしましょう。
それは
排泄行為と
同じものと
考えればいいでしょう。
逆に
あたり前の
排泄行為も
あたり前になっていない
それを
正常に戻すこと
ここにも
「灸百壮」の
意味があります。
結論は
灸が
ヤマイを
直すのではありません。
その補助手段では
ありますが・・・。
モグサと線香
たったこれだけ。
あと
マッチがいりますね。
ついでに
灰皿も・・・。
さて
どこに
すえます。
まずは
お近くの
鍼灸院で
指導を受けてください。
その指導を
嫌がる鍼灸師は
もぐりです。
たぶん
そこはかつて
畳屋さんだったかもしれません。
針立て屋専門で
灸は
糸はない
なんてのは
ジョークです。
あとがつかず
ここち良い
お灸。
無痕灸といいます。
いいじゃないですか。
恨みっこなし
無恨灸。
にっもさっちも
いかなくなったら
万事灸す
ですよ。
おあとが
よろしいようですよ。
実は
この駄洒落が
いいたくて
長々
くどくど
書いて
しましました。
『なんとなくクリスタル』
でしたね。
ちじのみだれ
ながの
お付き合い
ありがとさん。