「治す」ということ (講演録)
2006年1月14日
「治す」ってどういうことなのか。
目的はどう考えている?もう一回確認。
脈が整ったという人もいるけど…。
患者さんが来た、さあどうするか。
まず「痛み」をトル。これもひとつ。
それ以前に「病んだ状態」っていうのを、
どういうふうに考える?
「なんか調子悪いんですけど…」って来たときに
どこを見て考える。
カラダを触ったとき、ああココおかしいって。
で、そこを元に戻そうとするわけでしょ。
いうならば「治すだから」曲→直、というか、
伸びないモノを伸ばすとか、
縮んでるものを伸ばすとか。
そこを絶えず目的を持って考えているかってこと。
どういう状態が病気の状態で、こうすれば具合が良くなるのか。
不快を痛を取って快にする。
たとえば、歩行困難の人がいる。
歩行困難をもっと厳密に言うと?
歩けないのが、歩けるようになったってのはどういうこと?
「動く」ってのは何か?ってことなんだけどね。
筋肉が収縮でしょ?
どっかが弛緩してなきゃいけないでしょ、拮抗筋が。
で、「動く」ようになるのは、
関節可動域を広げるってことでしょ。
関節っていうのは軸があって、骨と骨の間に筋があるわけで。
すべての筋肉が協調運動、しているってことでしょ。
連動なんでしょ。
関節は足も手も、一二三、だいたい三つでしょ。
で、運動は、運動面ってのは、矢状面と前額面と水平面。
この三次元の動き。
それぞれの関節が連動していく。そこを見ていく。
それともう一つはなにがあるかというと、
いちばん問題なのはココの問題ですよ、脳みそ。
というか感情。
ようするに方向性を持っている。
治したいのか、治したくないのか。
それがすっごい大きな要素。
お金を払いたいのか、払いたくないのか。
自分でやりたいのか、ただ待ていて動かしてもらいたいのか、
そこすごく大事。
気持の問題。
ただ関節可動域、動かない動かないって、
自分でやんなきゃ動かないわけだから。
歩いて来るってことは、方向性を持っているわけだから、
しめしめなんだよね。
そこを邪魔しないで、しめしめをああ来てよかったと、
がんばろうまた来ようと、関節可動域を広げてあげる。
で、「コリ」があるってのは、どういうこと?
収縮してる?虚実ともいうし、ここに邪が入っているともいう。
ともかくそんな抽象的な言い方ではなくて、
筋肉、生理学で説明できるわけだから。
それをどういうふうに治していくのか。
機械的にするのか、温熱を加えるのか、それとも…。
けっきょく分解させる方法だよね。
固まっているモノを、どういうふうに分解させていくか。
そのために手当てということを、手の技。
自分がいっしょに感応していって、
いっしょに共同していって、
治していく。
我々は共同者なんだよね、
その人に代わってやるわけにはいかないんだから。
共(朋)に立っていく。
時として、上からカリスマになってってことも必要なんだけど、
うっかりすると宗教団体みたいになってしまう。
それでもずっとやっていければいいんだけど、
我々はカミサマではないんだから破綻するかもしれないし。
お互いに絶えず突き放して自立する方向に持っていかないと。
我々は手だけあれば、それでやっていける。
で、患者さんの信頼を得るためにも、
まず単純なことできちっと押さえておかないと。
「治す」ってなんなのか?「病気」って?「痛み」って?
で、自分はなにをしたいのか?
この人となにをしたいのか?
方向性、目的を定めておかないと。
手を置いた。それってなんなのか。
手を置いて、手の「サ」、
冷たい温かいだけじゃなくて、
もっと微妙な「サ」、
いっぱいあるわけだから。
置いた瞬間に、この人なに考えているのか、
この一週間、なにをしてきたのか、
いろいろあるでしょ?
それが全部この手に出てくる。
みんな違うわけだから、ものすごい情報量持ってきているでしょ。
それをココカラもらう。
そんときにザァーっと広がっていけるか。
汎化、ひとつのコトから広げていくこと。
抽殊、いろんなコトから特殊なこと(法則とか)を
導き出していくこと。
凝縮していくのと拡散していくこと。
それを絶えず瞬間的にやっていく。
それでどっちの方向に行っているのか。
それでいっしょに共生していく、向上していく、自立していく。
ナニかしたんだから変わらなきゃいけない。
逆に言えば、変わることをしなきゃいけない。
ともかく関節可動域を広げる。
左右差をみる。「サ」というものをみる。
そのなかで一番いいものに近づけていく。
で、何度もやっているけど、
私の場合はまずこの一番大きなこのふくらはぎ、
大きな筋肉、四頭筋。この可動域。
曲げるためにはこっち側が緩まなきゃいけない。
この問題に注目して、これをなんとかする。
そのためには足のさまざまな筋肉、関節。そこの動き。
五本の指先がそれぞれ役割を果たしているのか。
それに刺激を与える、爆発させる。
ふだんつかっている動きのなかで、圧のかかっている片寄り、
そこの五本の指の動き。
そこで可動域を広げていく。
その刺激を与えることで変化を(させる)。
それが背中にも影響するだろうし、
頚にも影響するだろうし。
まずは足のこっからやっていく。
それで鍼だ灸だと、
それが必要になった場合はすればいいだろうし。
ようはなにをしなくても、治ればいちばんいいわけで…。
この場所に来て、ここに寝てるだけで、治ればいい。
ここへ来るってだけで、
その人は治そうという方向性を持っている。
ただこの場所がアルってことが大事なんで、
ここを維持していくために浄財を貰わなきゃいけない。
ってことでしょ。
ここが在る、ここに先生がいるってことが大事。
そこに価値がある。(談)