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オホサワメソッド

2007年7月18日

この勉強会では、何をどうしているか、
どういう理屈でやっているのかという事を、
この辺で整理して、もう一回理解してもらいたい。

オホサワメソッドということで、私がやっているから、
という様に考えてもらっても良いが
「オホサワ」という言葉自体に非常に深い意味がある。
たまたま私の名前が大沢だっただけで、固有名詞ではない。
書いてしまっておこがましい話だが、
そこには深い意味があるという事を理解して欲しい。

まず鍼灸、東洋医学の世界にいるわけだが、
どうやって生活していくかという事になる。

具合の悪い方を診たときに、その方を治してあげて、
その対価としてお金をもらっているわけだが、
その方はどこが悪いのかという事が分かっていなければいけない。
その人が、具合が良いか悪いかという事を
分かっていなければいけない。
具合が悪いといってもその人の生活習慣もある。

つまり、我々はモノに囲まれて生きている。
生き物と、死んでいるただの物というものなどの、
モノの空間に我々は生きている。
その差を理解しなければ分からない。
生き物の動き・変化・過程があるわけだから、
そこを理解しなければいけない。
最終的にそこを、具合の悪い状態から良い状態、
健康な状態に持っていかなければならない。
そうする為には、
自分の中に理論をしっかり押さえておかなければならない。
その理論の下に、
具体的な方法・理屈と実際的・実践的なやり方・技術を、
対立しているものではなく、
同時進行で持っていかなければならない。

結論から言えば、私がやっているのは太極拳である。

太極拳は何かというと、太極の拳法という事。
太は太いという事。太いということは大きいということ。
太極とは何かというと、大きすぎて分からないということ。
つまり、極まりない無極ということ。

宇宙の状態も太極。
そこから、
明るいものとか暗いものとか、
固まっているものとか薄いものとか、
ようするに陰陽が生まれてくる。
両義という2つの差が出てくる。
太極から陰陽という極が生まれる。

更に、その陰陽から大きな陽と小さな陽と、
大きな陰と小さな陰と四象という四つの型が生まれてくる。

更に分けていくと、陽の中にも陰と陽とがあり、
陰の中にも陰と陽とがあると考えていけば八つある。
これを八卦という。

無極の混沌とした状態から八つくらいに分析すれば、
大体どういう状況ということが見えてくる。
その方法論の極め付けが太極という拳法。

拳法は何かという事だが、争いをやめるということ。
トラブルを解決するのが拳法ということ。
やっつけるということではなく、
争わないで平和な状態に持っていくということが、
究極の拳法ということ。

身体を鍛えるということは、
自分の中にある弱さを解決していくこと。
動じないということ。
バランス感覚を養うというのが拳法。
強くなるということは、バランス感覚が強くなるということ。
だから、争う必要もないということ。
やっつける必要も無ければ、やられることもない。

世間一般の拳法というのは、戦術という小さな目的。
本来の目的はみんなが幸せになること。
文武の武の部分だが、その中にも文が必要という事。
やはり文武両道に持っていかなければならない。

その究極の拳法には十三勢プラス、
五法という十八法というものがある。
これを分析してまとめ上げているのが、内神道という拳法。
その中には八法・八卦、五勁・五行というものがある。
そして五法というものがある。
この技を使ってものを理解していく。

具合の悪い状態を、良い状態に持っていく。
本人が気付かないことを気付かせる。
本人が治っていくという場を作ってあげる。
我々がやっているのは、治すということではなく、
治す条件を作ってあげるということだけ。
条件作りをやっているだけという事。

外科的に言えば、切れた腕をつなげるのは、
あくまでつなげるだけであり、
つながるのは命の営みがやること。
つなげるというのは、つながる条件を作るだけ。
そこを勘違いしてはいけない。
しかし、条件が悪ければつながらない。
それを理解する為に、この十八法が必要となってくる。
その上で、治しということを考えていく。

ようするに、東洋術ということ。 この場合の東洋というのは西洋に対する東洋ということではなく、 極東、日本、日本列島の術ということ。
術のというのは巫医という字で、
通常は酒(醫)という字になるが、
この場合は巫女さんのこと。
口から出任せを言って人を治すということ。
お酒を使う以前のもの。

その東洋_術と太極拳とを結びつけて、
その間に何があるかということだが、
宇宙の成り立ちというものを分析した
「相似象」という学問がある。
現象として目に見えるものの奥に、
同時進行で見えない世界というものがあるということ。
それを潜象という。

皆さんは今はここにいるが、
今日一日の生活パターンは全て違う。
違う歴史をみんな背負っているが、それが見えない。
見えないが確かにここにいる。
また、これからあとしばらくは一緒にここにいるわけだが、
その中でもそれぞれが違っている。
見えない世界は広大無辺だということを認識する必要がある。

現象の中には必ず潜象があり、
その潜象が日々発生して現象化している。
そのことを理解するという学問。
簡単に言ってしまえば、カムヒビキという言葉を使う。

「カ」というのは、
物事を生ませていく物事の根源的なもので、形には見えないもの。
それが、「ム」す、生まれてくる、響いてくるということ。
現象というのは見えない世界から常に現れてくる。
また、現象はいずれ潜象に帰っていくという循環にある。

宇宙全体から見れば、地球は非常に小さなもの。
その上で生きているか死んでいるかということだが、
そう考えると生と死との間には大した差はない。
全てモノでしかない。
広大な宇宙の歴史から見れば、
我々の一生などほんの一瞬の現象でしかない。
その中で見えないものを感じ取って、
なぜこの現象が起こっているのかという事を
瞬間に感じ取る必要がある。
そのための手作りをしている。
そのためのオホサワメソッド。

動きには必ず方向がある。
つまり、
前進するか後退するか、
上がるか下がるか、
右に行くか左に行くか
という六つの方向しかない。
軸で言うと三軸しかない。
人間で言えば、垂直の軸と、矢状の軸と、前額の軸とになる。
それに前と後、右と左、上と下がある
という六つの方向があるということ。
これは、「オ」という字で表せる。

「オ」という字は六方の三軸を現した象形文字と言える。

次に「ホ」という字だが、
十という字に左右の棒があるから、左右対称ということ。
矢状軸の回転と、前額軸の回転とを言っている。
左右対称ということは、まとまっているということ。
まとまって、ああよかったなとなると、ホッとなるでしょ。
ヘッとはならないでしょ(笑)。

次に「サ」という字。「サ」という字は十が二つ合わさっている。
ちなみに、「キ」という字は十が縦に合わさっている。
私の昔の名前はオオサキだった。
だからサとキを二つ持っている。すごいでしょ(笑)。

「サ」というのはエネルギーが出るということ。
差があるから上から下へ、
濃いほうから薄いほうへという流れが出てくる。
治療するということは、
我々がエネルギーを持っているから出来る。
差があるから動きが出てくる。
それが更にグルグル回ることによって、
「ワ」という一つの安定が出てくる。
グルグル回ってどんどん固まっていく。
そして最終的には消えていく。
現象から見えない世界へ帰っていくということ。

これはグルグルらせん状に回って行くわけだが、
具合の悪い人は元に戻ってしまう。
堂々巡りになってしまう。または、更に悪くなってしまう。
それを、良い状態に持っていってあげる、
らせん階段のようにしてあげるというのが我々の仕事。

その「ワ」の性質の中には
凝縮していく性質と、膨張していく性質とがあり、
両方が拮抗している。
ちなみに、「ワ」というのは平面ではなく、球の状態をいう。
どこから見ても、「ワ」になっている。
だから、オホサワって名前はすごい名前でしょ(笑)。

多聞という私の師匠が、
太極拳を内神道という形でまとめ上げた
「多聞内神道」という考え方と、
もう一人の私の師匠がまとめて伝えてくれた「相似象」という、
二人の師匠から伝えられたものを「東洋_術」という形で、
私の中でまとめ上げたものが「オホサワメソッド」。

物の理解という事を考えたときに、まず点というものがある。
線とは点の連続。
線が三つあると、三角という面が生まれてくる。
面が出来ると、内と外が出来る。
三角によって現象という形が生まれてくる。
それが立体になると、テトラという四つの面が出来る。
その角が取れると丸い球という状態が生まれてくる。

それが一番安定している状態。
我々の仕事というのはその状態へ持っていくということ。
丸める仕事。

そこに、重さ・量が加わる。
更に量が増えると、質の変化が生まれる。
一枚の紙はやぶれても、重なって何十枚にもなればやぶれない。

また、そこに動きと向き、空間が生まれる。

そこで、モノは様々な方向から捉えるようにしなければならない。
一方向から見れば線だが、別の方向から見れば面かもしれない。
様々な方向から見ることで、
その物の性質・成り立ちが見えてくる。
現象から潜象へ、ということ。
大きな流れの中で、物を認識していく、
分かっていくということが相似象ということ。

その方法論で、具合の悪い人を何とかしてあげようというのが、
東洋_術。
皮、肌目、肉、骨、髄という形で状況を診ていく。
穴を診て、経絡を診て、臓腑を診て、気を診て、
しん神を診る。

神は自然治癒力といっても良い。

その方法として、まず導引、引っ張ること。
気功、つまり口から出任せ。信じれば案外元気になる。
それから、按_、つまり整体のこと。
引っ張ったり、押さえたりする。

そして、灸艾。火を付けたり、近づけたりすることで、
物理的に変化を起こさせる。
無痕灸で治れば一番良いが、
それで治らなければ、焦灼灸、打膿灸が必要となってくる。

それで駄目なら鍼をする。
鍼にも毫鍼などを使って刺す鍼もあれば、
接触鍼のような刺さない鍼がある。
_鍼、員利鍼、鋒鍼などで
外科的に血や膿を出す、切る鍼、やぶる鍼もある。
集毛鍼、梅花鍼のようにちょっと刺激するだけで治す鍼もある。
鍼には九鍼があり、それを使い分けなければならない。
表面からではなく、粘膜に影響を与える場合には、
膏薬が必要になってくる。
薬も、外用性のものから内服性のものに変えていく。

生活習慣、食習慣からも変えていく。
食養生というものになっていく。

我々の身体の中心は、血液循環系と電気的な刺激系なもの、
つまり心臓と脳味噌で出来ている。
つまり、植物的な機能と動物的な機能とのこと。

植物的な機能とは、
食べた物を分解・吸収して、
毒となるものは排泄していくという機能。
その食べ物をどうするかということだが、
植物は動かなくても炭酸同化や窒素固定により、
自分で栄養を作ることが出来る。
しかし、動物はそれが出来ないので、
植物のものを強奪して自分の栄養にする。
そのために自分が移動するから動物という。

この我々の中にある、植物的な機能と動物的な機能のうち、
動物的な機能が悪さをしている。
本来は植物的な機能だけで良いのに、
筋肉が発達してしまっている。

もともと筋肉は、
木に登ったり食料となる動物を捕まえたりするのに使っていたが、
そういうことをしなくなってしまっており、余っている。
その余っている部分も栄養を与えなければならない。

そのためには食事を取らなければならないが、
食事を取るにしても、そのためにエネルギーを使っている。
更に、それを消化するためにもエネルギーを使っている。
我々は非常に効率が悪い。
その効率の悪い身体を理解していかなければいけない。

もう一つの機能として、生殖機能がある。
この食事を取って栄養する機能と、
生殖機能の二つが体に悪さをする。

一番手っ取り早い治療としては、動物的な機能を治すということ。
植物的な機能は自律的なものなので、我々はいじれない。
休めてあげるための場を作ってあげることしか出来ない。
その場を作る方法を「イヤシロスベ」という。
イヤシロのスベということ。
つまり、余計なことをしないで、
活性化するような場や条件を作ってあげるということ。

その方法として、現代医学があったり東洋医学があったり、
ヨガや太極拳がある。
ある意味で人と会ったり話をしたりすることでも元気になる。
それぞれに応じたイヤシロスベがある。

我々の方法としては、手を使って触れるという方法をとる。
その方法として「五切」という触れ方が十八法の中にある。
まず、触れるということ。
その中に、柔らかさ・粘りをもって触れていく。
そして連結していく。
また、体の状態に応じて・随って変化していく。

そして、最高の触れ方として不抛頂がある。
抛というのは力がないということ。
頂というのは尖っている・突っ張っているということ。
そのどちらでも駄目ということ。
ちょうど良い状態で触れるということ。

その不抛頂の状態で触れた瞬間に、全部が見えてくる。
相似象で言うところの、方向性・身体の状態・生と死・質量・
最終的には予後が見えてくる。
それをどこまで見てアドバイスできるかということ。

言うことはこれだけ。
ただ、問題は(ホウ)・(リ)・擠(セイ)・按(アン)
・ 採(サイ)・列(レツ)・肘(チュウ)・靠(コク)
という十三勢の八勁・八卦を
やっていないとなかなか難しいということ。
体作りをしていかないと難しいので、
一緒に修行をしていってもらいたい。
というのは、これをすることで自分の養生にもなる。
自分の中心の軸が見えてくるし、逆に歪みが見えてくる。
それが分かっていないと、単なる治療家になっているだけで、
自分の体を壊してしまう。

差というものを分かって均一にしていく。
患者の左右差、上下差といった個体の中の差をならしてあげる。
動物性のものから、植物性のものに影響させる。
かるく触るだけでもかなり大きな刺激になりうる。
患者にエネルギーを与えられる存在となるようにする。
その与えたエネルギーは、必ず戻ってくる。しかも増幅して。
元気になって喜んでくれて良かった、
という喜びとなって戻ってくる。
治療して疲れるのではなく、元気になる。
患者が元気になって、自分も元気になるのでなければ、
本当の治療ではない。

我々は確実に未来へ向かっている。
逆に未来がこちらへ流れてきているということもある。
流れてきているのだが、絶えず発生している。
星の光は何億年前に光った光が今来ているのではなく、
今光っているのだということ。

人にしても、今見ているのとさっき見たのとは違う。
どんどん変わっていく。
そのような変化の過程で捕らえていかないといけない。

一人一人全部違うので、
一人一人全部違う治療法があって良い。
逆に言えば、この方法論を使えば、誰にでも出来るということ。

まず、柔らかく触ること。
触ることによって親和して、相手の変化がわかり、
その方向性が見えてくる。
その人が今まで生きてきた、
時間・空間というものが瞬時にわかる。
見えていることの方が少ないので、問診をして確かめていく。
患者が勘違いしていることもある。

太極拳で言えば、八勁・八卦というのは触れ方の問題。
五勁・五行というのは構えの問題。
分けると十三だが、全て同時進行。
どこが一番強調されるかによって異なってくる。
揉んだりして、何か上手くいかないというのは、
五理が、特に不抛頂が出来ていない。

個々の働きを分析して診れば、決して難しいことではない。
見えないものや、隠れているものの方が多いが、
痛みが出ているということは、解決策が出ているということ。
その痛みの裏に隠れている、出てこない痛みに気付かせてあげる。
しかし上手く伝えないと、
左の痛みが取れたら右の痛みが出てきたなどと言って、
余計悪くされたと思われてしまう。

この八勁というものはなかなか難しいが、
自分の中で会得して欲しい。
今、握った中にも全て八勁がある。
肘、肩、指先を使う中で、
どこを強調するかによって八種類に分かれてくる。
しかし、全て同時進行で行う。
これは無意識にやっているときの方が
かえって出来ていることの方が多い。
しかし、これを意識的にやらなければならない。
そのためには、気持ちの悪い触り方を覚えておき、
それをやらなければ良いだけのこと。
数をこなせば分かるようになる。
そのためには想像をたくましくすることが必要。
電車に乗っても周りの人を見て、どこが悪いかを考える。
そこに、どう自分が関わっていくかを考える。
このような人が来たらこうするというのを常に考えておく。
そうすれば、実際にその様な患者が来たときに
考えていたことを試せる。
その結果良くなればそれで良いし、
良くならなければ修正を加えていく。
患者が来てから考えるのではなく、
引き出しを多く作っておくことが大切。
自分のバランスが良くなることで、相手の歪みが見えてくる。
理論はこれで終わり。十八法で全て解決する。