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手創りの会通信

手創りの会通信 Vol.2 考えずに踊ろう

2005年5月27日


2006年5月27日

参加メンバー:大田・甲斐・栗間・宮本・安田・中山・和田
       原沢・大沢(文責)
講師:大沢則夫

本日の学び

今回は河内音頭の練習会が道場で開催される日と重なり、
前回の勉強会の時に少し勉強会の開始時間にくい込むかも
しれないので、よかったら参加してくださいとの話でした。

ところが、来た人はみんな見ているだけで参加した人がおらず、
河内音頭も早く終わってしまったため、以下のような話メインの
内容となりました。

―自分の知り合いが訪ねてきて、そんなときはどうします?
 治療にきたわけじゃなくて、チラッと遊びにきた場合とか。
 治療するっていうのもあるかもしれないけれど、

ここではとりあえずどういう方がきたか、そして帰るんだったら
その連絡先を控えてってことがあるんですけれど、それが
できないんですよ。

先生こういう人が訪ねてきましたよってメモ位は残して
あるんですけど。「どうしたの?」って聞いたら
「そのまま帰りました」ってそれで終わりなんです。

私はそれはないと思うんですよ。1時間、2時間待たせるようなら
帰ってもらうしかないかもしれないですが、ちょっといないけれど、
お茶でも一服飲んで帰って下さいとかね。

要は自分の知り合いが訪ねてきたって発想をもって
やれるかどうかってことです。

―中々こう難しいんですね。正直今日は、はめたってところも
あるんだけど、河内音頭の人達には21時まで踊ってて下さいって
言ったんですよ。ちょっと20時から勉強会の人が来るけれど、
21時までは踊ってていいですよって。申し訳ないけれど、
みなさんには勉強会の開始は遅くなってしまうけれどね。

その理由はね、みなさんは変わらなきゃいけない。
やっぱり東鍼校行ってツボを覚えたりっていうのはわかるんですが、
じゃあ世間でどうやって飯を食っていくかって考えた時に、
そのパターンでいって果して飯が食えるかっていうね。
誰を相手にするのかっていう。世の中いろんな人がいるんだから、
選ぶわけにはいかない。どんな人がきてもやっぱり、それ相応の
対応をして、
「あー来て良かった」と思ってもらう、それができるかっていう・・。

だからわざわざ学校に行くその時間を・・学校でツボなり東洋医学なり
習ってるんだろうけれど・・ここに来る意味っていうのはそれではないと
思うんですよ。

ここへ来て特効穴、特効療法習うっていう、そういうのもあるかも
しれないけれど、それだったら高いお金払ってやればいいし、
それだけだったらもう教えることもないんですよ。

やってるパターンだって一緒だから。

―今ここにまとめてもらったのだけど、『蓬』っていう冊子の
バックナンバー。20年以上も前に作ったもの。学校行っても
あまりにも設備がないし、図書館もなくていいかげんだし、仲間達で
東洋医学を広めようと始めたものです。

ちょうどニクソンショックっていうのかな、中国との国交回復でもって
鍼麻酔がブームになって、鍼灸学校っていうのは徒弟制度の延長で人も
来なかったのが、ニクソンの鍼麻酔で小児麻痺が治るんだと、ブームに
なって。

それで私もそうなんだけど、鍼灸学校の学生がどーっと増えたのね。
ちょうど1970年の後半位からかな。
ところが学校でも日本の鍼があるっていうのを宣伝してないし、
今はもうそれ以上にもぐりでもいろんなのがあっちこっちたくさん
増えているでしょ。
鍼灸学校だってそれこそ雨の後のたけのこみたいに増えている。
そういう中でわざわざ学校に行ってライセンスとってやろうって
いうんだけども。

われわれの20年以上前っていうのは何にもなかった。
それでこれから来る人に伝えていこう、裾野を広げていこう、
東洋医学を広めていこうっていうきっかけで始めたんだよね。

これから来る人のためにそういう場を作ってですね。
みんなで東洋医学というのを広めようと。
そういう中からこの場所を確保して今がある。
現代医学でお医者さんが全部やればいいんだけれども、
そうじゃない世界というか伝統の中であるものを生かそう。
まあそういう中から場所を確保して今があるんですけど。

―そこでここの存在意義は何なのかっていうと、
臨機応変にどんな人がきても誰がきても大事にする、
ここに来た人は大事にして「あー来てよかった」と思われるようにしたい。
だけどその精神が中々伝わらないんですよ。
あえてそういう従業員教育をしていないっていうのもあるけれど、
こういう冊子を読んでもらうっていうことも昔はやっていたんだけどね。
今はやっていないから、なぜここにこういうものがあるかっていうのも
わからなかもしれない。

少なくても東洋鍼灸でそういう世界に触れてこういう世界が
あるんだっていうのを広めていきたくてここは始まったのだよね。
東鍼校行ったからこういう場所を大事にしなきゃいけないって思う。
今の東鍼校をみるとお医者さんに毛が生えたようなものだよね。
お医者さんが本当に養生の気持ちをもってやりだせば、我々は飯を
食えないよ。

だからどこで我々が勝負をするって場合、もう心っていうかその人と
丁寧に丁寧にやっていくしかないよね。

―今ここずっと2週間みている患者さんで腰痛が治らない患者さんが
きていて通常の私のパターンであればもう治らなければいけないところが、
治らない。

そうするともう運動器系の問題ではなくて、
内科的な問題ではないかってことでもう一度病院でみてもらっては
どうか話をした。そうしたところ、診断はですね、多発性骨髄腫
だったんです。
何箇所か癌があってもう放射線治療しかない。
抗がん剤治療ってことで、でもそれはそれなんだけど、
自分でも頑張りたいってことで、とにかく先生何とかしてくれってことで
来てるんですよ。

宣告はもう受けているんだけれど、抗がん剤の治療は受けるんだけども、
自分では私との相対する関係で来たいってことなんだけど、
正直言えば面倒見切れないし、治らないから手に負えないってことで
病院に行ってもらったのだけど、でももうその人とは覚悟を決めて
つきあっていかないといけない。

まあそういう極端な話はあまりないかもしれないけれど。
そういうこともある。

―そういう厳しい状況にたえず直面すると思うんですよね。
だからこそもっと幅を広くしておかなければいけない。
少なくともここに来て踊ってる人たちがいて、
踊っている人と見ている人って分かれてしまうともう踊れないでしょ。
だから皆さんがここに来る意義っていうのは勉強会で
体を勉強するっていうのもあると思うけれど、それだけじゃなくてね、
一番大事なのはやっぱりここに来る人と輪をもっていく。
どうやって溶け込んでいくのかっていう、人間性を持っていないと
無理なんですよ。

逆にいえば学校行って習えばいいのだから、わざわざここに来る必要は
ないし、この時間がもったいないし。

―ここの場所にきてああいう人達が踊ってくれるってことはすごいこと
なんですよ。
河内文化、東京で河内音頭を踊るっていうのは、それもまた養生の
世界です。大阪人はケチだから自分で治す、灸(やいと)も盛んだし、
鍼は小児新を打つ、自分の健康は自分で治す、文化として養生医学が
あると思う。

東京っていうのは種種雑多な人がいるからまた違う文化だと思うけれど。
―頭で考えたものではなくて、そこに溶け込まない自分がいるのかも
しれないけれど、そのままではいつまでたっても患者さんは体を
ひらいてくれない。

どういう患者さんを相手にするんだかわからんけれども、
やっぱり高みにたってはいけない。高みから先生がいて患者さんを
みていくんではなくてね。そこのところを私は大事にしたい。

だからすごくもったいないことをしてくれたなぁと思うんですよ。
みんなまだ固いんだよ。というか頭で考えてしまっている。

この場所はそういうかたちで使ってもらいたいし、いろんな文化を
共有してほしい。
ここへ来る人がどんなことで来ようとも気持ちよく帰ってもらいたい。
逆に言えば皆さんもそうなの、私からすれば来てよかったと思って帰ってもらいたい。
と、いつも私は思っている。

―これからいろいろな経験すると思うけれど、
だから自分がどういう鍼灸師を目指すか、誰を対象にしたものか。
その哲学をもっていかないと。その哲学をここで学んでほしい。

技術は回数重ねれば身につくし、まだそれが足りないだけで。
勝負するのはやっぱり自分の心だと思うんですよね。
好き嫌いもあるからね。好き嫌いもあるけれども
どっかで崖から飛び降りるってことをしないと痛みをもった人間の
気持ちはわからない。

自分を変えなければいけない、患者を変えるんではなくて、自分が
変わらなくては無理だと思う。
ライセンスをもっているからそういうことができるんじゃなくて、ライセンスのあるなしは関係ない
もうちょっと性格なり変えた方がいい。真面目過ぎる。
何度もいうけどわれわれは極道なんだよ。

まだ弱いしまだ真面目過ぎるし頭で考えてる。
体でぶつかっていかないと。
だからこんなことやるよりも踊った方がいいんだよ。
1時間汗かいてもらった方がよかったんだけどなぁ。

・・・そんなこんなで話が長くなりました。
その後、和田くんを栗間さんが治療するってことをやりましたが、
今回は省略させて頂きます。