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東洋医術の門

「『猫の妙術』の微妙」

2005年11月24日

その一

新宿区の百人町を知っていますか。
その二丁目に、古びたアパート扇荘があるのをご存知ですか。
そこが東洋医術を施すイヤシロチ
であることを知っている人は百人もいないでしょう。
ただ、新宿中のネズミとネコさんは
そこの住み心地の良さを感じて
年中、そこに出入りをしているようです。


勝軒という剣術家がおりました。
自宅を大ネズミに占拠され、
昼間もかまわず駆け回るので
飼い猫にその大ネズミを捕まえさせようとしたがかなわず、
近所のネズミ捕りに長けた猫を借りてきて退治を試みた。
しかし、逆に猫どもが尻込みしてしまう始末だったそうだ。

そこで、勝軒さん自ら木刀を引っさげて、
大ネズミ退治に挑戦を試みたそうだ。
が、やはり、勢いあまって木刀で障子唐紙を
壊す結果となり、困り果てたそうだ。

そこでとうとう
うわさに高い「無類逸物の猫」を招聘したそうだ。
しかし、くだんのこの猫、
見た目は利口そうにも見えなかったが、
ネズミはこの猫を見てくすみ、
なんなく退治してしまったそうだ。

それを聞いた近隣の猫どもが
この古猫を囲んで、その妙術指南を願い出たそうだ。
その申し出を快くうけた古猫
まず、集まった若猫たちに
自分の修行体験を語らせた。

「するどき黒猫」曰く
『我鼠をとるの家に生れ、其道に心がけ、
七尺の屏風を飛び越、ちいさき穴をくぐり・・・』
の修行をしてきたので、
これまで捕り損じたことは一度もなかった。
しかし、今回の強鼠は思いのほかだった
と語った。

それを聞いたかの古猫の言。
「ああ、汝の修する所は、所作のみ。
故にいまだ、ねらう心あることをまぬがれず。
・・・
才は心の用なりといへども、道にもとづかず、
只巧を専とする時は、偽りの端となり、さきの才覚
却って害に成る事おほし。」
と、さとして
「よくよく工夫すべし」と
述べたそうだ。

さてこれは
「イ失斎樗山」の『猫の妙術』の一節です。
武道指南書といわれていますが
手の技を生業とするものにとっても
大いに手本となる書と思います。

特に
鍼や灸
また
手技で
他人の健康作りにかかわる人は
熟読玩味が必要と考えます。
片手挿管法
然鍼術
満月の押し手
柳手
就き手
エトセトラ
多彩な技を修練し
巧みな手技を持たれている
按摩師
鍼灸師の方々は
あまたいらっしゃるようです。
しかし、
かの古猫氏に言わせれば
「所作のみ」ということでしょうか。

さて
微妙な話は
またの機会に・・・
続きをお楽しみに。
(2005/11/10記)

その二

今日もまたヨモギの天井裏は
鼠の運動会の会場です。
ベットに横たわる患者さんは
この音をなんと聞いているのでしょう。

鼠を捕らえる妙術を持った猫の登場は
まだ、昔話の中です。

さて『猫の妙術』のお話

「無類逸物の古猫」を囲んで妙術談義。
「するどき黒猫」
「虎毛の大猫」
「灰毛の少したけたる猫」
など
かの古猫より指南を受け、感心することしきり。
しかし
その古猫も謙虚にこういいます、

「我何の術を用いんや。無心にして、自然に応ずるのみ。
然りといえども、道極まりなし。
我がいふ所をもって、至極とおもふべからず」
と。
更に付け加えていいますに、

「むかし我隣郷に猫あり。
終日眠りて居て、氣勢なし。
木にて作りたる猫のごとし。
人其鼠をとりたるを見ず。
然共、
彼猫の至る所、近辺に鼠なし。
所をかへても然り。」

そんな評判を聞いたので
行ってあれこれ極意を問うてみた。
しかし、何度と問うても
答えてくれなかった。
それで、くだんの猫は
悟ったそうだ。
「知るものは不言」
そして
「我また彼に、及ばざる事遠し」と。

さて
『妙術』はここから
勝軒が登場し、また、その猫に質問して
剣術談義にうつります。

私がこれを読んでいつも思うのは
この眠り猫のことです。

我がヨモギの治療院も
この百人町に存在しているだけで
新宿中の具合の悪い人が
みな
元気になる。

鍼だ灸だ、ツボだ経絡だ。
そんな
ちんまい手技でなく
余計なことはしない、
ただ
ここで
「ひねもすのたりのたりかな」
でいいじゃん。
さて
どうすればそうなるのでしょう。
(2005/11/19記)

その三

浜の真砂は尽きるとも
世に病人は尽きるまじ。

医学が進歩し、
医者が増え、病院もでき
それで
病人は減ったのか。
否、
病気は細分化され
病名が増え
専門分化が進み
その道のオーソリティー医者が
ドンドン生まれる。

したがって
病気でないものまでも
病人となり
ご飯だけでは足りず
補助栄養食品にたより
三度の食事も面倒になり、
ついでに
ウンコも面倒で
ついには
子作りも
交わりなしで作りましょう。

医学の進歩万歳です。
しかし、これでいいの。
三河万歳はお笑い種です。

さて勝軒、
かの古猫の談義に感激し
「願はくば猶、其奥義をしめし給へ」と
願いでた。
どうすれば剣術の達人になれるかと
いうわけです。
しかし、憎いね、猫さんの言。
俺は獣、あんたは人間
鼠を喰うのがあたりまえの私が
人のやることをわかりゃしないよ

おっしゃいましたね。

けれど
聞いたことがあるので
それでよけりゃ語りましょう

薀蓄を一くさり。
剣術は勝ち負けでなく
大変に臨んでじたばたしない心を
養うんじゃないかしら。

「生死の理に徹し、此心偏曲なく、不疑不惑、
才覚思慮を用ゆる事なく、心氣和平して、
物なく、潭然として、常ならば、
変に応ずること自在なるべし」
「無物、不蓄不寄
敵もなく我もなく、
物来るに随いて跡なきのみ」

さて
これをどうすれば
実現できるのか?
(2005/11/21記)

その四

11月19日土曜日は「手つくりの会」でした。
そろそろ卒業試験です。
鍼灸学校で教える「手技」と
私流の「即営業手技」とは
違いがあるようです。
学校は学校のやり方がありますので
それはそれ、これはこれ

使い分けが必要です。

このところ
言っていること、
やっていることが
マンネリですね。

漫練
つまり
ゆっくり繰り返し、繰り返しの技の習得を
「マンネリ」と呼んでいます。

しかし、
受けての方々にも
いわゆるマンネリ感があるようです。
つまり、
手つくりの大事さは判ってはいても
即効薬、特効薬が欲しくなる気持ちは否めません。
それがマンネリ感を生みます。

若い求道者の方々に
つたない技術を伝えようと
こちらはあるゆる都合をつけて
望んでいるのですが、
受けての方々にとっては
参加自由ですし、
土曜日の夜を
どう過ごすかはこちらが強制できるものでも
ありません。
また
もう
私以上に稼いでいる方も
いらっしゃるかもしれません。

しかし、それらは
「するどき黒猫」
「虎毛の大猫」
「灰毛の少したけたる猫」
の技に思えます。

世の中には手強い相手が
上には上の相手がいると思います。
この道を断念しようと考える
いや
断念する事態も起こるでしょう。

現に
稼いでいるといっても、
エステサロンやリフレクソロジーに対して
それはマッサージ師の資格のない
もぐり営業と叫んでみても、
日本人の暮らしの中に定着させて
堂々と莫大な経費をかけた
宣伝広告を打ち出せる方々の
足元にも及ばないことは
否定できません。
むしろ
かの方々の方が
お客の心を掴んでいますね。
手技も鍼灸学校より
巧みに伝授されていることでしょう。
期末の試験で疲れ、
卒業試験で疲れ、
国家試験で疲れ、
3年間のアタマのこねくり回しで疲れさせる
システム。
擬似医者養成施設に成り下がっている
ところに
高い投資をして
その見返りはなんでしょう。
リフレクソロジーに就職
とならなければいいのですが
現状は
それ以下でしょう。

この
寒い鍼灸学校の現状は
私の在学中からも
あまりかわりはないようですし、
もっと悪くなっている感がします。

われわれ回答は
「蓬の会」でした。
その延長線上に「蓬治療所」が
あり、
そこでの「手つくり」の会なのです。

19日は
7月7日に拾われたナナの
天井裏デビューの日でもありました。
あまりお腹が空いていないところで
チュウ太郎の世界に押し出したのですが
天井裏入り口付近に
ウロウロしているだけで
第一回目の挑戦は失敗だったようです。

しかし
そっれまで
運動会をしていた天井裏住民が
しばし、おとなしくなっていたので
若きナナさんでも
それなりの威圧はあるのかもしれません。

さて
「妙術」を語る無類逸物の猫に
勝軒氏
さらに奥義を尋ねます。
「何をか敵なく、我なしといふ」と。

猫がいいます。
「我あるが故に敵あり。我なければ敵なし。」
「敵といふは、対待の名也。」と

さて「対待」とは
両方が向かい合って立つさまをいいます。
つまりは姿かたちがあるということは
相対的なことで、対構造なのだ
というのでしょう。
だから
「我心に象なければ、対するものなし。
対するものなき時は、角(あらそふ)ものなし。
是を敵もなく、我もなしと云。」

さらにまた、猫さんすごいことを言います。
「千万人の敵の中に在て、此形は微塵になる共、
此心は我が物なり。大敵といへども、
是をいかむとすること能はず。」

そして
結論は
「教といふは、そのをのれに有て、
みずから見ること能はざる所を、
指して知らしむるのみ。」

「師より是を授くるにはあらず。」

「教ることもやすく、教を聞くこともやすし。
只をのれにある物を、たしかに見付て、
我がものにすること難し。」
「これを見性といふ。」

最後にいいことを言いますね。

「悟とは、妄想の夢の悟たるなり。
覚といふもおなじ。
かわりたる事にはあらず。」

やりたいことがいっぱいあって
また
やらなければならないことも
たくさんあって、
それでも
月に二回の土曜日
たったの二時間。
若い方々との交流
自分の再発見、
人生のヒントを
いただけます。

「以心伝心、教外別伝」
めだかの学校
誰が生徒か先生か
微妙な
関わりは
まだ
続きます。

猫にマタタビ
子供にまた旅
冬猿股に足袋
度度の
妙述御免。◆