ノートその2.
2025年3月21日
10月1日、木曜日記す
本日は十五夜です。しかし、実際の満月は明日夜ですね。
上古代(カミヨ)の人々が、○を最初に発見したのは、お月さまか、お日さまか、どちらでしたでしょうか。
朝陽夕陽よりも、私はお月さまの○がいいですね。
勿論、朝陽、夕陽も、時に、感動することがあります。
ただ、満ち欠けのお月さまに、また、中天の満月🌕に、孤高の矜持を感じます。
ヤタノカガミは○に十と、八ヶ所に付けられた小マルで作られています。
それを分解して、48文字が創られています。
時計と逆回りで、3時の位置を東(ヒ)にすれば、北東(フ)、北(ミ)、北西(ヨ)、西(イ)とメグリ、南東のヤで一回りです。
そして、また、ヒからヤまでの二廻り、三廻りと、万象は休むことなく巡っているわけですね。
ただ、一回りすると、また同じく円でなく、一つステージを上げて、螺旋の廻りになります。それが、向上の巡りか、降下の巡りがの違いがあります。
向上であれば、コから、トにステージを上げるコトに、なります。
それが、この現生のコトワリであるという訳です。
浮かれる落ち込むという、人智の感情に関係なく、世の廻りがあるのですね。
すべては、カから、ヒが産まれて、ヤになるまで進行し、アヤしい状態から、アカラさまな状態になり、初めて、認識、ワカルというコトになるわけです。
病気をヤマヒといいます。
ヒからヤまで、アヤマリの進行が、山になって初めて、痛みとか、熱とかの状態に現れ、そこで初めて気がつくわけです。
時に、特効薬も必要でしょうが、おおかた、ゆっくり、ヤスメば、また、回復するのですね。
高熱が出て、汗が出て、ヤマを超えて、もしくは、峠を越えて、日常に帰るわけです。このようなことをわれわれは、何度も学習して、オトナになってきているわけです。
その反省もしないで、また、病気になるのは、堂々メグリ、ヤ舞いです。
だんだん、薬も効き目が少なくなっていきますね。
痛み(イタミ)の前に、必ず、イヤミ、コリなどが現れます。その小さな知らせを敏感に感じて、そこで、それが発生した原因を解決しておけば、ナンのことはないというコトです。
ヒトツは、一でもあり、一つずつの集合体もヒトツといいますね。
このように日本語は、部分と全体を表すのに、「ヒトツ」という同一語で表すことができるのです。
「ヒトツカタ」とは、モデルという意味があります。
われわれは、見えないけれども、確かにあることを知るのは、何か、似たカタチで感じるところから始まります。
丸くなっては消え、また、徐々に、丸くなる。月の満ち欠けに、無から有、有から無への廻りがあることをサトって、ヤタノカガミを創ってくれたのでしょうか?
あたりまえのの進行を「マノスベ」といいます。
真(マ)の術(スベ)か、魔の術となるかは、人間のサガでしょうが、人間以外のイキモノは、淡々と、マノスベを行なっています。
マノスベ〜シの「シ」は、示しであり、また、そうしなさい、ということです。
お釈迦様が、亡くなられる時の最後の言葉が、
「ウ"ァヤ ダムマー サンカーラー」
であったと、宇野多美恵先生の師、
冨永半次郎先生は述べられています。
それを宇野先生から、聞かれた楢崎皐月先生は、あっさり、それはマノスベシだよ、と、おっしゃられたそうです。
